昭和40年07月08日 夜の御理解



 夕方、栄四郎が申しておりました。この頃、あの、あれは何というでしょうか?こう、家の中で運動すると、みなさん、あげたりこうしたりするとですね、ね。あの~あれは何ちゅうとですか?何っちゅうじゃろうか?あれは。あれを、椛目でみなさんがやってるんですけれども、今、一番余計、あげとるとが、秋永先生です。ひゃく・・・170回やったかね?110回か、その、あげたのよ。
 まぁ、50回、60回とまぁ、まちまちなんです。またその今日言うたとが、今日は青年会げなけん、青年会の方見たら、お父さんあげさしてんねっち。どれくらいあげきるかち私に言うとりますもん。300ぐらい上げなさるがっち言った事ですけれどもね、もうつう一杯(?)やっぱり20回・30回・五十回となってくると、もう手がつうてくる。それでもですね。もう、誰よりも一回でも余計にあげようとしてから、みんながこうやるわけなんです。ね。自分のいわゆる力を試さんためにです。
 今晩ひとつみなさんやってごらんなさい。おそらく、(  ?  )が一番だと思うんですがねぇ。今、私はあの、2・3日前、歌舞伎のお芝居の本を送ってきとりますから、見せてもらいよりますが、今度、東京で十代の俳優たちがですね、いわゆる、勉強歌舞伎という勉強の芝居をやってるです。これは、もう本当の、一流の役者が取り組むような。例えば、菅原伝授、手習い鏡といったような、そのお芝居に取り組んで、まぁ、18・9、二十歳といったぐらいの同じような子供たちなんです。いうならね。
 いわゆる、勉強芝居なんです。そしてそれを大人達が評してですたい、まぁやるこたやると。ね、顔の作りも所作もやはりぎこちない。大人のようなわけにはいかんけれどもです。このまま、稽古ができて成長していったら、まぁ立派な一人前の役者になるじゃろう。また末は名優になるだろう、と。けれどもね。これはつまらんちゅうとがおる。これは、もう見込みがなかばい。これはもう、大根ばいちゅうとがおる。ね。
 私が思うのにですね、今度の御造営という事でも、椛目のここの信者一同がです、総代、幹部いうなら、あれでいうなら、実行委員というのが出来ておりますから、委員長をはじめ、末端にいたるまでも、実行委員の方達がです。そういう意味での、私は、力試しじゃないかと思うのですね。今度は。いうなら、勉強芝居なんです。その事をどういう、どういう思いで取り組むか。ね。
 どのくらい、一生懸命に参ったか、と。ね。そして、あの氏子は末は役にたつ。末は横綱になるだろう。と。あれこそ、ああいう生き方が、徳を受ける生き方だといったようなものが、あらかじめ分かるのじゃないかと思うですね。今度の御造営の事についても。みなさんも、それぞれに日夜その事について、思いつづけておいでおられる事であろうと思う。ね、どういう一生懸命の信心をさせて頂いてです、例えば、誰よりも一回でも多くです。あげれるかということなんです。
 そういう、私は力を試してみるもう、一番の機会ではなかろうか。いうなら、おんなし事柄に何百人の者が取り組むのですから。それぞれの問題といったようなもんじゃない。一つの問題に椛目全体の者が取り組まなければならないという時期にあたってです。いうなら、千歳一遇の時にあたってです。どういう信心をさせて頂くか、と。どういう信心をさせてもらい、どういう力を発揮していくか、と。
 人は百回なら、百十一回。人が十一回なら、もう一回。とこう、たとえば、そういう意味合いでです、私は自分の力を試してみる。自分の力量をです、分からしてもらうこの上ない機会じゃなかろうかと思う。今朝からの御理解を、また聞いてください。その、今朝からの御理解をですね、例えて言うならどういう信心をさせて頂くか、と。それを私はこういう、句で表しておる。
 「黙々と 断酒の心 菊作り」黙々と断酒というのは、酒を断つと書いてある。ね、「黙々と 断酒の心 菊作り」「生まれあう 大いなる世は 尽きぬ月」と、「生まれあう 大いなる世は 尽きぬ月」月見をする月です。ね、こういう時に生まれ合わせた、こういう時に御神縁を頂き、ね、巡り合わせて頂き、信心し合わせて頂きいておるという事。いうなら、尽きぬ月と。このご理解を聞くと。
 なぜこの月見の月が使こうてあるかという事が分かる。黙々と断酒の心菊作りと、勿論これはもう誰にも言うなて、椛目のご造営だからどうこうと、例えば家内にでも子供にでも兄弟にでも、自分達が黙って黙々としてです自分が断酒の心。例えば一修行させて頂いてです、自分の心が愈々、信心の有難さを作り上げていこうとこういう。「黙々と 断酒の心 菊作り」「生まれ合う 大いなる世は 尽きぬ月」と。
 どうぞ今朝の御理解を頂いて下さってから、いうなら私の句をもういっぺんひとつ思うてみて下さい。これはその後に頂いたのですからこの句は入ってませんから、句だけ覚えといて下さい。そして例えばそう言う様な内容の信心をさせて頂いて、自分の力を愈々一歩でも前進させて頂いていくためのこの上ないチャンスではないだろうかと。またとこの機会はないと、またと何百人の者が一緒になってといったような事はこれから、さまざまな記念祭とか大祭とかありましょうけれどもです、ね。
 生まれ合う大いなる世という事はまず、まずなかろうと私は思う。こういう時に生まれ合わせておった、おかげを頂きおうておったという事やら、時に私共は何回味おうたかと、そういう意味合いでです、私は今の青年の方達が一番いいと思うです。そういう力を試したりね、そういういわば、力試しの信心を本気でさせて頂くのに、一番色んな意味合いで、始められる環境にあると私は思う。色んな意味で、ね。終わってしもうてから、はぁ、あれはあの事によって、神様が。
 例えば私は、さっき高芝さんにも話した事ですけれども、さいきん神様は、もう本当に、椛目の総代のそうきたえというか、総代さん方が毎朝、毎朝そろって、お参りになる。いうなら、熱しておる。だから、鉄は熱しておる時に打てというようにです。もうそれこそ、えげつないまでも、たたかれておる。けれども、椛目だけではない。次の教会、合楽教会なら、合楽教会にやらして頂いてから、あちらの、お広前でもです、椛目の総代なら現在のままっでよか。
 けれども合楽での総代が今のような事じゃでけんと。あちらに合楽教会にふさわしい総代であるために、おきたえを頂いておるんだと。総代を始め信者一同がそのような働きを受けておるという事をです、思わせて頂く時に本気でも、勉強芝居じゃないけれどもです、ね。持っておる力の限りをです真の限りをです、ここに現していくけいこをなさらなければいけんのじゃないのかと。またとないこういうチャンスは。そう私は思うのです。
   おかげ頂きまして有難うございました。